看取るということ

下にこんなもの書いたせいだろうか。
死に臨むものを看取る辛さは尋常ではない。


3月27日から28日にかけて妻の容態は急激に悪くなった。
介護ベットの脇に布団を引いて寝ていた私は結局一睡もできないことになった。

痛がる

だが痛み止めが飲めない

熱がある

だが解熱剤が飲めない

深夜病院に電話をかける。
夜勤の医師も対応がとれない。
その日医薬品の在庫を調べていた。
抗生剤の在庫があるのを思い出した。
尋ねてみる。

Goがでた。
さっそく鴨居にひっかけ点滴を開始する。
若干熱は下がった。

しかし、痛みは依然として引かない。

医師に相談する。
モルヒネパッチの大判を追加する。

なんとか朝まで凌ごうとした。

結果朝まで何度も何度も病院に電話をし、そのたびに相談をした。
辛い夜だった。
気休め程度のことをしながらなんとかしのぐ。

だんだん声も出なくなってきた。
朝6時の段階で実家に電話をし、息子も呼んだ。

妻は、私の母がいるかとかすかな声で尋ねた。
いるよと母が答える。
ほら、この子もいるよというとちょっとだけ指先で触った。

妹は?と尋ねた。

もう新幹線だよと答える。
多分朝7時半には近所の駅につくよと答える。

義妹と義父を迎えにいく。
非常に悪い、驚かないようにという。

義妹と義父は泣きながら妻のベット脇についた。
実父母、義父が救急車は?と聞く。

午前中には医師が往診に来ると答える。

何度も何度も聞かれる。
そのたびに精神力を振り絞って、救急車は呼ばないという約束になっていると答える。

所詮救急車を呼んでもできることはない。
もうできることはない。緩和ケアしかないのだ。

死なせてやろうとした。
耳元で小声でよくがんばったなと声をかける。

相変わらず苦しそうな息遣いだ。
酸素の量を増やす。

わきの下や額など冷やせるものは冷やしていた。

医師が往診に来た。

脳に転移をしていた。
そして、うまくしゃべれないのは腫瘍のせいで脳梗塞状態になってしまったということだった。

妻の左半身は動かなくなった。
そしてしゃべれなくなった。

なんとか意思の疎通を図ろうとパソコンで単語をアホみたいにでかいフォントでA4いっぱいに印刷する。
「痛い」「痒い」「気持ち悪い」「頭」「手」「右」「左」個人名・・部位・・etc

それを妻の目前にもっていってどれだ?と尋ねるとかすかにないと答える
サインペンを受け取りなにやら書くのだがもはや判別がつかない

泣いた

何が悲しくて、この若さで自分の女房ががんだけならともかく、脳梗塞状態にまでならなきゃいかんのか。

#やっぱりもう書けない