影響−負の連鎖

せっかくの歓送迎会もトラブル対処のおかげで金だけ払って出席できず、家に戻ったのが0:30であり、ケーキも駅前のコンビニになかったのでシュークリームをでごまかした。
息子から何度も電話があったようだった。
朝起きると義妹からメールが。

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夕べはお父さんに電話すると言って11時過ぎまで起きていました。
ちょっと、さびしそうだったかな。
そこから布団には入ったものの、結局寝たのは12時過ぎでした。

昨日は誕生日だったので、ケーキを買って帰って、○と二人食べました。
私 「今日は、○のお母さんの誕生日だよ」
○ 「お母さんの?でも、死んじゃったらしょうがないよね」
私 「そうだね」
○ 「でも、お空の上からよね」
私 「そうだね、○が良い事をしてるのも、悪い事してるのも見てるかもね」
○ 「きっと怒ってるよ」
私 「どうして?」
○ 「・・・」

怒りんぼうのお母さんの姿が思い出に残ってるのかな?
何にも覚えていないよりはいいのかもしれないけど、ちょっと複雑だね。

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妻はいわゆる妻業が苦手だった。それより外にでて仕事をしているほうが好きだった。
だが息子ができ、今度は母親業が増えた。
客観的にみても私は比較的家事や子供の面倒を見ていたつもりだが、それでも足らないらしく妻のイライラはやまなかった。

あれほど幼少期によその子供と比べられてイヤだったと言っていた妻が自分の子供を急に比較するようになっていった。
しつけに関してもメリハリなく何かがおこるとギャー、コレをするとギャーと実に激しかった。
そのくせじっくり話そうとか育もうなんて一切考えていないように見えた。

息子が寝静まった後で落ち着かせて話しをすると「どうやって育てて良いかわからない」「愛情があるのかないのかわからない」。
カウンセリングに行かそうとしても「過去のつらい経験をほじくり返すからイヤ」とか子育てセミナーなんかにも「そうやって私にプレッシャーかけるのか」とか。

だんだん立ち振る舞いや言動が「憎むべき親父」として聞いていたことが妻の中に出てきた。
私が戸をバンとしめると「大きな音でドアを閉められると怖いからヤメテ」といっていたのだが、息子がご飯を少しこぼした程度で逆上して台所のドアをすさまじい勢いで閉めた。
補助輪付の自転車のペダルがこげない時もそうだった。
「よその子ができるのになぜできない!」教えられてもいないのにできるわけがなかろうというと「私の育て方が悪いというのか!」と逆ギレをされた。
だんだんに息子は妻の顔色を伺うようになった。

そうして徐々に妻VS私+息子という図式が生まれてきた。
妻の実家構造の父VS母+子供たちと同じ図式である。
そうして入園一年前ぐらいからそれは最高潮に達していた。入園が翌年の春に決まったところで・・・病気が発覚したわけだ。

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妻が最後に会いたかったのは息子でもなく私でもなく彼女の母親でもなかった。
「血が混じっていると思うと吐き気がする」といっていた実の父親だった。
死の床でもはや言葉もロクに出なくなった娘の手を握りながら号泣する義父を私はコーヒーカップをもってぬるいコーヒーをすすりながら昆虫でも見るように見ていた。

結局オヤジに愛されたかったのか
アンタも娘が可愛かったのか
愛し方を知らない父親と愛され方をしらない娘のすれ違いドラマなわけね
そうか、このドラマの中では俺も子供も脇役でしかないわけか

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そういえばお母さんとの楽しい思い出って何があるんだろう