すき、きらい

お名前シールの元を作ったが、はて、入学式には何をもっていくのかによってはお名前シールは6日の晩でよいのではと気がつき確認をするまで何もできない(苦笑)

でお彼岸にお寺にいってもらった小冊子をつらつら読んでいると上記タイトルのお話があった。

以下抜粋−−−−−−−

親が子供に好き嫌いなく食べさせる目的は二つ。
ひとつは色々なものを食べさせることで栄養のバランスがとれ、健康になる。
もうひとつは、たくさんの味を知っていれば食生活が豊かになる。

食べ物の好き嫌いと同じで、あの人は嫌、この人は好きと分け隔てしていると心のバランスが偏ってくる。
そして、毎日の生活が窮屈になる

(略)

人の好き嫌いがはっきりしているのは自慢にならないな・・・

抜粋終了−−−−−−−

いささか抹香くさい気もするがなんとなくなるほどと思った。
うちの夫婦は二人とも人の好き嫌いがはっきりしていた。
確かに好きなものは好き、嫌いなものは嫌いと、今でも思う。
が同時に昔ほど「こいつは嫌い!」というのも無くなって来た気もする。

人を嫌ったり憎んだりするのは多大なエネルギーを使う。
それを持続するのもまたしかりである。
できれば建設的な観点、できるだけ肯定的な観点で人や物をみれると幸せである。
というか自分の物差しが単純なものではなくなったということでもあるかもしれない。

それを人間的成長というか、余計ひねくれたというかは微妙だが(笑)