揺らぎ

当初1年生になったら、学童クラブに入れる予定だった。
それが変更されたのは、やはり実母の存在であった。
「子供が可愛そうだから」ということではあるが、「近所にいるのに何もしない」わけには行かないということも大きな要因だろう。

そうやって小学校に通うようになると、だんだんにどこかで聞いたフレーズが出てきた。
漢字が上手にかけないと言っては、半ば修行に近いような書き取りの回数を繰り返しさせる。
それがうまくいかないから「やるきがない」「集中しろ」と子供を責める。
返却されたテストの点数によって言動がまるっきり変わる。

私が大嫌いだったものが三十数年たってまた私の周りにある。

実父が家によって、母親と息子の宿題を見ている。
「なんでそうなるんだよ、何回いってもわからないんだね」
「そういう勉強ができないと大人になったら苦労するんだ」


これが間断なくループする。

後年私が頭ごなしにモノを言うやつに病的に反抗するようになった理由である。
これを母は父がいるときには父に、兄がいるときには兄に、姉がいるときには姉に参加させた。
私はひとつのことをするのに説教・叱咤・罵倒・非難を家中から浴びせられて育ったわけだ。

私が自分より若い人に兄貴面をしたいのはこの経験の反動だろう。

その影響を排除したくて学童クラブに通わせることにした。
本当は1月から準学童のようなものもあるので通わせようと考えたのだが、そこに行くと学童の中だけでしか遊べなくなる。
4月からの学童は公民館と併設なので学校の友達も公民館の中でなら遊ぶことができるのだ。
かといって週に何日かではかえって息子も混乱するだろう。

悩んでいる。

そこなら7時まで預かってくれるので、私が迎えにいける。
でも折角できた友達と遊ぶことができない・・・。
4月からは6時までだ。比較的家から近いが私が帰るまで一人で留守番??
シッターに来てもらうか?
鍵の受渡はどうする??

自分ひとりで決められるのなら金の問題なのだが、近所に親族がいるというのはまたややこしい。
面倒をみなければならない。でも体もシンドイ。孫は言うことを聞かない。
実はこれで先日ひどい口論をした
曰く『あんたは立派なんだから一人だって育てられるだろう!』
これが本音なんだろう

ところが、それでも世間体としては面倒を見てやらなければならないというのがあるわけで。

所詮2人と一匹で生きていくしかないわけで・・。
うーむ